私のキャリアパス ~指導医療官をご存じですか?~(城戸 優充先生)
突然ですが、当教室HPをご覧の皆様は、指導医療官という仕事をご存じでしょうか?病院や診療所で管理職として勤務される方はご存じかもしれませんが、多くの方はご存じないかと思います。この度ご縁があって、2020年9月に京都府立医科大学付属病院を退職し、翌10月から指導医療官として関東信越厚生局に入職いたしました。本稿では、これまでの私のキャリアパス、指導医療官という仕事、1日の流れ(ルーティーン)について皆様にご紹介したいと思います。さまざまな進路の選択肢の一つとして、皆様の将来設計の参考になれば幸いです。
私は、2005年3月に京都府立医科大学を卒業しました。他科への進路も考えたのですが、京都第一赤十字病院整形外科部長であった山添勝一先生(現みどりヶ丘病院副院長)の様な医師を目指し、当教室に入局しました。大学での研修は1年間だったのですが、その時に苦楽を共にした同期医師や同僚とは今でも良き友人です。そして、論理的な考え方、臨床力を身につけるために大学院に進学しました。生駒和也先生(現大学准教授)をメンターとし、MRIを用いた関節軟骨造影法、扁平足における足根骨荷重応答などをテーマに研究に取り組みました。アメリカ足の外科学会でMann Awardという臨床賞を扁平足研究で受賞したことも良い思い出ですが、ヨーロッパ整形外科基礎学会で同期の澤井泰志先生(現さわい整形外科内科クリニック院長)とした蘭仏二人旅は一生の思い出です。2013年に大学院を卒業した後も、そのまま足の外科診療・研究にのめり込みました。大学や北部医療センターで臨床医として、忙しくも充実した日々を過ごしました。そして、家族の理解とバックアップ、さまざまなご縁があり、冒頭で述べた現在に至ります。
指導医療官は、保険診療の質的向上と医療費の適正化を目的として、1981年に設置された厚生労働省医系技官です。当時の社会背景として、1961年に国民皆保険制度が、1973年に老人医療費無料化が開始され、健康保険財政が悪化していたこと、無資格診療(富士見産婦人科病院事件)が社会問題となっていたことがありました。職務内容は、医師法、医療法、健康保険法などの各法を基に、保険医療機関や保険医に対して指導などを行うことです。具体的には、保険診療の取扱いや診療報酬請求などについて指導を実施します。診療内容や診療報酬請求に不正や著しい不当が疑われる場合には、当該保険医療機関などについて監査(調査)を行います。その結果に基づいて、保険医療機関の指定取消や保険医の登録取消の行政処分のほか、戒告や注意の措置を行います。新人研修制度がしっかりしており、私の場合は、統括指導医療官、保険指導医の先生方や所属課長によるマンツーマン研修、Skype講義やオンライン研修などでみっちり初期研修を受けることが出来ました。休日は、土日祝日および年末年始で、3日間の夏期休暇、20日間の年次休暇があります。公務員なので基本的には兼業禁止ですが、整形外科専門医やリウマチ専門医の資格維持のため、私は許可を受けて休日に外来業務などを行っております。
最後に、最近の1日のルーティーンです。現在(執筆時、2021年4月)厚生労働省は時差出勤を推奨しており、早出(8時)や遅出(10時)など開始時間を選択できます。私は平日9時に出勤し17時45分に退勤しております。途中12時から13時、皆一斉に昼休憩をとります。医師としての専門知識を生かして、上述した指導や監査、会議やデスクワークなどをこなします。職場は事務官の方を中心に構成されますが、医師、歯科医師、看護師、薬剤師といった専門職の方も若干名いらっしゃいます。多職種が連携して行う保険診療では専門的な知識が不可欠であり、すぐに相談できる体制がつくられています。忙しい時もありますが、基本的に和気あいあいとしております。現職でも同僚や上司に恵まれました。ちなみに、この半年間で小生が残業した日は数えるほどで、極めて短時間でした。働き方改革を推進している省でもあり、男性の育休取得やテレワークも推奨されています。休暇もしっかり取得することが求められ、非常に働きやすい環境です。
以上、私のキャリアパス、指導医療官という仕事と1日のルーティーンをご紹介いたしました。最近はデスクワークの毎日ですが、法令文の読み方を知ったり、指サックの偉大さに気づかされたり、充実した日々を過ごしております。臨床医から行政医という一風変わったキャリアですが、皆様の将来設計の参考になったでしょうか?これからの長い医師人生では、新たな分野への挑戦、多様な経験に基づいた考え方や人間関係が重要になってくるかもしれません。
皆様、当教室への参加、指導医療官への入職はいかがでしょうか?