整形外科教室について

留学便り

善衆会病院(林 成樹先生)

平成20年卒の林成樹です。令和3年10月1日から群馬県前橋市にあります善衆会病院に国内留学をさせていただいています。私は大学の助教として股関節外科の診療に携わっていました。経験数は少ないものの、通常の人工股関節全弛緩術(THA)であれば他の人と遜色なくできるレベルにはあるのではないかと勝手に思っていました。ただ、変形の強い症例などの経験が不足していると実感し、さらに経験を積みたいと思っていました。そのような状況の中、高橋教授から善衆会病院への国内留学のお話をいただきました。一度見学に伺ったのですが、そのときにTHAが30分ほどでおわり、1日に縦で5関節(両側例含め)のTHAが17時におわるという手技を見せられ、驚愕し、是非この技術を勉強したいと思い、国内留学を決意しました。

善衆会病院では佐藤貴久先生にご指導いただいています。1年間で約140例の経験を積ませていただきました。ペルテス様変形から寛骨臼底突出の症例や急速破壊型股関節症で関節破壊が強い症例、骨切り後の症例まで非常に多彩な症例を経験させてもらっています。最初は1時間かかっていた手術も、3か月後には約45分、いまでは平均35分程度で手術が終わるようになっています。

ここに国内留学をさせていただいて感じたことは、百聞は一見にしかずといいますが、百見は一執刀にしかずということかなと思います。何回見てもやってみないとできません。私も最初の1ヶ月は佐藤先生の手術を横に立って助手をしながら30例ほど見ているだけでした。佐藤先生の両側例で片側佐藤先生がされたのに合わせるようにやってみてというのが最初にさせていただいた症例です。30例も見ていたのでできるだろうと思っていましたが、関節包の処理が上手にできず、結局手取り足取り教えていただかないとできませんでした。これから手術を勉強する先生には、学会やセミナーだけでなく、機会があれば国内留学も含め貪欲に技術を学んでいって欲しいと思います。

このような勉強をする機会をいただいた高橋教授をはじめ、股関節班の先生方に深謝いたします。勉強してきたことを大学に還元できるように精進したいと思います。

Washington University in Saint Louis (神谷阿久里先生)

平成24年卒の神谷阿久里です。2021年10月からWashington University in Saint Louisに留学しています。ワシントンDC やシアトルにある University of Washington とは関連がなく、アメリカ中西部ミズーリ州の都市、セントルイスに位置しています。医学部のキャンパスは、MLB の名門カージナルスの本拠地から車で15分、全米2位の広さを誇るForest Parkの隣にあります。物価も目が飛び出るほど高くはなく、車さえあれば自然やお店へのアクセスもよい、非常に住みやすいところです。春から夏はサマータイムを採用していますので、夜の9時近くまで明るく、平日の夕方にゴルフのハーフラウンドができてしまいます。(しかし冬は寒くて暗くてどんよりしています。フリージングレインとなると全てのものが凍結し、店も会社も閉まり、家に閉じ込められます。)

こちらでは、整形外科スポーツ部門のProf. Robert H Brophyに師事させていただいています。Brophy教授は、スタンフォード大学を卒業した後に一度プロサッカー選手を経験してから医学部に入ったという異色の経歴の持ち主です。手術は、膝関節鏡や周囲靭帯再建および修復術、肩関節鏡が主ですが、アスリートの骨折手術やアキレス腱他の腱縫合なども場合により行います。日本ではあまり目にすることのないallograftを用いた軟骨欠損の手術も日常的に行われ、とても勉強になります。全身麻酔ですが上記に述べた全ての手術が日帰りです。また、Brophy先生とその他のスポーツ整形外科医とともに前十字靭帯の術前術後の姿勢安定性の研究をさせていただいています。他にはできるだけ週1で、車で2時間の距離にあるUniversity of Missouriにも足を運び、Dr. Aaron Grayのスポーツクリニックの見学をしています。アメリカでは手術をしない外来が主なスポーツ整形外科医やPMRも多く活躍し、外科医ともチームとして連携をとりながら、効率よく治療をしています。

医師としてとても有意義な経験をさせていただいていることはもちろんですが、日本にはない多様性の文化を、読み聞きするだけではなく、五感で感じることができているこの経験を、とてもありがたく感じています。帰国した際にはこの経験を日々の診療に還元していきたいと思います。いつもご理解いただき、あたたかくサポートいただいております高橋教授はじめ同門の先生方に、深く感謝申し上げます。

帝京大学附属病院外傷センター(松浦宏貴先生)

平成23年卒の松浦宏貴です。卒業して早10年が経ち、だんだんと普段の診療の中により専門性が強くあらわれてきた私は現在帝京大学附属病院外傷センターに国内留学させていただいています。これまでの私の経歴と現在を紹介しながら、これから整形外科を目指す後輩の助けになればと思います。

私は、大学卒業後に京都府立医科大学関係病院の一つである京都第一赤十字病院で卒後臨床研修を行いました。私はこの頃から外傷治療に興味をもち、研修終了後は同病院の救急科に所属していました。京都の中でも特に重傷外傷を受け入れるこの病院で、教室の先輩である整形外科の先生方に出会い、外傷治療の救命はもちろんのこと、機能再建の難しさと喜び、面白さを学びました。

整形外科医になることを決め平成26年に京都府立医科大学整形外科学教室に入り、同年10月から京都第一赤十字病院で整形外科医として働きました。教えていただいた技術や考え、上手くいかなかったことも含めた臨床経験は何よりの財産となっており、また学会やシンポジウムでの発表、AOコースやCadaverトレーニングといったセミナー参加などの貴重な経験をさせていただきました。平成30年からは市立大津市民病院に異動し、自身の責任がより強くなった中で研鑚を積ませていただきました。

10年の間に色々な治療ができるようになりましたが、残念ながら機能障害を残した経験はあります。そこで、より良い外傷治療ができるように国内留学を教室に相談させていただき、帝京大学附属病院外傷センター長である渡部欣忍教授をご紹介いただきました。

そして令和3年4月から帝京大学附属病院外傷センターで研修しています。ここでは、外傷患者を主体として年間800〜1,000件の手術が行われています。その中には一般的なケガの基本診療をはじめ、四肢・脊椎・骨盤など専門的な分野の骨折治療および重度四肢損傷に対する軟部組織再建の治療などが含まれています。また、外傷後合併症である偽関節が他院から多く紹介され、難治性骨折に対する治療も行われています。それぞれの治療には全国的に活躍されている先生のもと、綿密なカンファレンスが行われ、基本的な治療計画の立て方から専門的な手術方法まで指導を受けることができています。また、高いモチベーションを持った専攻医が常にローテートされ、私自身への非常に良い刺激となっています。

整形外科には多種多様の治療法が存在します。歴史と伝統のある京都府立医科大学から視野を拡げ、この国内留学を通じてより良い外傷治療ができるようになると思います。このような機会を与えていただいたことに感謝して、教室員の皆さんに還元できるように精進したいと思います。

東京医科歯科大学システム発生・再生医学分野(藤井雄太先生)

2012年卒の藤井雄太です。私は、2021年3月に京都府立医科大学で学位を取得後、4月から高橋教授のご紹介で東京医科歯科大学システム発生・再生医学分野(淺原弘嗣教授)へ国内留学させていただいています。

東京医科歯科大学は御茶ノ水にあります。御茶ノ水は多くの大学や専門学校などが建ち並ぶ学生街です。隣に順天堂医院、少し離れたところには日大病院や東大病院など周囲にはたくさんの大学病院があります。大学の研究室は主にM&D タワーという26F建てのビルにあります。システム発生・再生医学分野は25F北側にあり、研究室の窓からは東大病院や上野公園などが見えます。システム発生・再生医学分野には、淺原先生、講師の栗本先生、医学部内講師の千葉先生と松島先生、私、博士研究員の内田さん、テクニカルスタッフ4名に加え博士課程・修士課程の大学院生、卒研生、医学部学生が多数在籍しています。毎週月曜のラボミーティング、木曜のラボセミナーをはじめ、研究室のあちこちで毎日活発な議論が行われています。私も少しずつ研究に参加させていただきながら、皆さんに研究の背景や実験手法などを教えていただいています。すごく忙しい中でも丁寧に説明していただき申し訳ない気持ちになることもあります。現在のご時世もあるのかもしれませんが、ラボミーティングやラボセミナーにはZoomを活用したり、研究の進捗状況やデータ共有にオンラインストレージやチャットアプリなどを活用したり、仕事の効率化が進んでいると感じます。

ラボのメンバーとして良い仕事が出来るように、一日一日頑張っていきたいと思います。最後になりましたが、このような素晴らしい機会を与えていただいた高橋教授、同門の先生方をはじめ東京での生活をサポートして下さっている方々に深く御礼申し上げます。

学外からのメッセージ

私のキャリアパス ~指導医療官をご存じですか?~(城戸 優充先生)

突然ですが、当教室HPをご覧の皆様は、指導医療官という仕事をご存じでしょうか?病院や診療所で管理職として勤務される方はご存じかもしれませんが、多くの方はご存じないかと思います。この度ご縁があって、2020年9月に京都府立医科大学付属病院を退職し、翌10月から指導医療官として関東信越厚生局に入職いたしました。本稿では、これまでの私のキャリアパス、指導医療官という仕事、1日の流れ(ルーティーン)について皆様にご紹介したいと思います。さまざまな進路の選択肢の一つとして、皆様の将来設計の参考になれば幸いです。

私は、2005年3月に京都府立医科大学を卒業しました。他科への進路も考えたのですが、京都第一赤十字病院整形外科部長であった山添勝一先生(現みどりヶ丘病院副院長)の様な医師を目指し、当教室に入局しました。大学での研修は1年間だったのですが、その時に苦楽を共にした同期医師や同僚とは今でも良き友人です。そして、論理的な考え方、臨床力を身につけるために大学院に進学しました。生駒和也先生(現大学准教授)をメンターとし、MRIを用いた関節軟骨造影法、扁平足における足根骨荷重応答などをテーマに研究に取り組みました。アメリカ足の外科学会でMann Awardという臨床賞を扁平足研究で受賞したことも良い思い出ですが、ヨーロッパ整形外科基礎学会で同期の澤井泰志先生(現さわい整形外科内科クリニック院長)とした蘭仏二人旅は一生の思い出です。2013年に大学院を卒業した後も、そのまま足の外科診療・研究にのめり込みました。大学や北部医療センターで臨床医として、忙しくも充実した日々を過ごしました。そして、家族の理解とバックアップ、さまざまなご縁があり、冒頭で述べた現在に至ります。

指導医療官は、保険診療の質的向上と医療費の適正化を目的として、1981年に設置された厚生労働省医系技官です。当時の社会背景として、1961年に国民皆保険制度が、1973年に老人医療費無料化が開始され、健康保険財政が悪化していたこと、無資格診療(富士見産婦人科病院事件)が社会問題となっていたことがありました。職務内容は、医師法、医療法、健康保険法などの各法を基に、保険医療機関や保険医に対して指導などを行うことです。具体的には、保険診療の取扱いや診療報酬請求などについて指導を実施します。診療内容や診療報酬請求に不正や著しい不当が疑われる場合には、当該保険医療機関などについて監査(調査)を行います。その結果に基づいて、保険医療機関の指定取消や保険医の登録取消の行政処分のほか、戒告や注意の措置を行います。新人研修制度がしっかりしており、私の場合は、統括指導医療官、保険指導医の先生方や所属課長によるマンツーマン研修、Skype講義やオンライン研修などでみっちり初期研修を受けることが出来ました。休日は、土日祝日および年末年始で、3日間の夏期休暇、20日間の年次休暇があります。公務員なので基本的には兼業禁止ですが、整形外科専門医やリウマチ専門医の資格維持のため、私は許可を受けて休日に外来業務などを行っております。

最後に、最近の1日のルーティーンです。現在(執筆時、2021年4月)厚生労働省は時差出勤を推奨しており、早出(8時)や遅出(10時)など開始時間を選択できます。私は平日9時に出勤し17時45分に退勤しております。途中12時から13時、皆一斉に昼休憩をとります。医師としての専門知識を生かして、上述した指導や監査、会議やデスクワークなどをこなします。職場は事務官の方を中心に構成されますが、医師、歯科医師、看護師、薬剤師といった専門職の方も若干名いらっしゃいます。多職種が連携して行う保険診療では専門的な知識が不可欠であり、すぐに相談できる体制がつくられています。忙しい時もありますが、基本的に和気あいあいとしております。現職でも同僚や上司に恵まれました。ちなみに、この半年間で小生が残業した日は数えるほどで、極めて短時間でした。働き方改革を推進している省でもあり、男性の育休取得やテレワークも推奨されています。休暇もしっかり取得することが求められ、非常に働きやすい環境です。

以上、私のキャリアパス、指導医療官という仕事と1日のルーティーンをご紹介いたしました。最近はデスクワークの毎日ですが、法令文の読み方を知ったり、指サックの偉大さに気づかされたり、充実した日々を過ごしております。臨床医から行政医という一風変わったキャリアですが、皆様の将来設計の参考になったでしょうか?これからの長い医師人生では、新たな分野への挑戦、多様な経験に基づいた考え方や人間関係が重要になってくるかもしれません。

皆様、当教室への参加、指導医療官への入職はいかがでしょうか?